「稼いだ者勝ち」という考えは資本主義の原則なのか?
お疲れ様です、ローンウルフです。
かつて投稿した「投資ブロガーはブログ収益よりも投資収益を公表しろ!」という記事に、こんなコメントが届いていました。
あなたが何回も正しいことを喚いたところで、あの人のほうが支持も人気も上であって、結果として金持ちにもなってるんですよね。正しさも人気や金の前にはゴミ同然、この資本主義の原則をご存じないあなたがずっと貧乏である状態を見て、一般人はあの人をますます支持して人気もあがる。
資本主義社会においていわば「稼いだ者勝ち」ともいえる思想がこのコメントから感じ取ることが出来ます。しかし本当に資本主義における原則は「稼いだ者勝ち」なのでしょうか?
今回の記事ではこの問いの答えについて考えてみたいと思います。回答を導き出す手段としてほんの少しではありますが、資本主義の歴史を紐解いていきたいと思います。
近代資本主義の発展過程
資本主義の定義は人によって若干ニュアンスが異なることが多いですが、一般的には生産手段の私的所有により、利潤の追求を目指す行為や経済体制のことを指します。
資本主義は産業革命により、急速に発展していきました。それまでは資本主義とはいっても生産は手作業により行われていて規模も小規模でした。ですが機械による生産が始まったことにより、大量生産が行えるようになったのです。
機械生産により従来の手工業は没落し、機械などの生産手段を持つ資本家と、資本家の元で働く労働者とに分かれていきました。
資本主義の発展に伴い分業化が進みましたが、利潤の追求のみを考えた当時の資本家は労働者の生活をかえりみず、不衛生な生活環境のもとで低賃金と長時間労働を課し、子供までもが炭鉱労働に駆り出されることになりました。
早い子供では8歳から働き始め、炭坑内の危険な作業で命を落とし、あるいは筋肉が発達する反面、身長が伸びないなどの成長の阻害が起きたため、社会問題へと発展しました。
こうした資本家の極端な利潤追求行為から、資本家と労働者は次第に対立していくこととなり、労働組合の結成、あるいは生産手段の社会的所有を目指す、社会主義という思想が登場するに至りました。
こうした動きに危機感を覚えた各国は、労働者を保護する法体系を整備したり、労働組合の結成を認めたり、皇帝の権限の強いドイツでも災害保険などの社会政策を実施し、労働条件の改善に動き出すことになるのでした。
また20世紀に入ると世界恐慌が発生したことにより、市場原理に任せれば市場は均衡していくという、従来型の資本主義体制(神の見えざる手)へ疑問が生じることとなり、各国で国家による福祉政策や経済への介入が積極的に行われることとなりました。
こうした歴史的な背景からすると、「稼いだ者勝ち」という考え方は前近代的・初期の資本主義の考え方を反映したものであり、今もある程度は残っているものの、時代と共に次第に是正されていったと言えるでしょう。
「稼ぐこと」も重要だが「稼ぎ方」も重要
私は以前の記事で、無料で学べる米国株ブロガー2人のブログ運営術を紹介しました。
そのうちの一人、「Grow Rich Slowly シーゲル流米国株投資で億万長者になる!」のHiroさんは、記事のコメント欄でこう言いました。
これは私の師匠から教わったことですが、「最初から金を稼ぐことを考えるな!」と言われました。お金とは社会に与えた価値であると。
ならば、先ず考えるべきは社会へのギブ&ギブ&ギブ&ギブ&ギブです。社会に価値をギブしないで、お金を稼ごうという発想は止めろって言われました。
オンラインサロンへの勧誘、情報商材の販売…情報発信を行っている人たちの中には、社会に価値を提供するよりもお金稼ぎ優先の姿勢が見え隠れする人たちがいます(全ての人がそうだとは言いませんが。ただ彼らがなぜそうした活動に熱を入れているのかは、一度熟考してみたほうがいいと思います)。
確かに今後の日本の人口減少社会を生き抜くためにも、お金を稼ぐこと自体は非常に大切です。しかし稼ぐことと同じぐらい「稼ぎ方」も重要なのではないでしょうか?自分がお金を稼ぐためなら他人を犠牲にしてもよい、そういった姿勢で情報発信をしている人はHiroさんのコメントを何度も読み返した方がいいと思います。
社会に価値を提供した結果としてお金を得ることが出来る、それが本来のあるべき資本主義の原則ではないかと私ローンウルフは考えています。
ディスカッション
コメント一覧
たぶんあの人の人気と収益が上がるのは他人を犠牲にしているからではなく、大多数の人が求めている記事を書き、大多数の人にお届けしているからだと思いますよ。大多数の読者は、何が正しいとか、あなたやあの人の信条とかに興味は無くて、面白ければ読むし、面白くなければ読まないだけのことで、まさに資本主義ですね。
自分の考えは置いておいて大多数が満足する記事を書く稼ぎ方と、大多数の満足は置いておいて自分だけが満足する記事を書く稼ぎ方と、どちらが良いかは市場が決めて、その結果が収益というわけです。もしかしたら、大多数の読者は喜びこそすれ犠牲になどなっていなくて、犠牲になっているのはあなたの承認願望だけかもしれませんね。
コメントありがとうございます。
まず最初に申し上げておきたいのは、この記事はあなたのコメントをヒントに書いたものではありますが、あなたが信奉しているあの人を想定して書いた記事というわけではないんです。情報発信者、特に記事中にあるような情報商材を販売している人なんかを想定して書いた記事なんです。まぁ勘違いされるんだろうなとは思っていましたが(笑)与えるよりも儲けることを主眼としている方が多いと感じ、記事にしました。
実際問題として、こうした情報商材の世界では、購入した側が価値を得るどころか、ほとんどお金を失うだけの結果に陥っていることがあります。社会にほとんど価値を与えなくてもお金を得ている人がいるという現実があるんですよね。必ずしも提供している情報の価値が高いから儲けられるのではなく、うまく価値が高いように見せかけて儲けている人もいるわけです。
記事にも書いた通り、なぜその人たちが情報商材の販売に熱心なのかの裏を読んでほしいなと思います。本業でうまくいっていればそんなに情報商材の販売に熱心になる必要もないですからね。特定の対象については時間がたてば批判を受けて消え去り忘れ去られていきますが、雨後の筍のように別のものがまたボコボコとわいて出てきます。常に疑問を持つ姿勢が重要です。
「稼いだ者勝ち」とするならば、騙すことによってお金を得ることも肯定されかねません。価値を与えることによってお金を得る、そんな姿勢が情報発信者には求められると私は思います。
あ、あとこんな弱小ブログをいつも見てくれてありがとうございました。
test様
突然で割り込んで申し訳ありません。
ペンネーム『鎌倉見物』です。
確かに、多くの方が満足する記事を書くことは素晴らしいことです。しかし、多くの方が満足すればいいものではありません。
感謝や賞賛のような感情はすぐには伝わらない一方、憎悪や蔑みという感情は炎のように感染していきます。ヒトラーは、大衆のそのような感情を巧みに操り、短期間で首相に就任しました。その後、ヒトラーの攻撃性と排他性は、5500万人の犠牲者を生み出しました。現在はヒトラー台頭の時代と同様に、格差が広がり、民族主義が台頭しています。ヒトラーの出現を単に過去の出来事と片づけることはできません。
また、すべて市場に任せることも悲惨な結果を引き起こします。19世紀のイギリス人労働者の平均寿命は19歳にもなったのです。そのような悲惨な境遇を改善するために、マルクスは共産主義思想を生み出しました。その共産主義により1億人を超える犠牲者が生み出されたのです。もしも、労働者の境遇がそこまで悲惨でなければ、20世紀の悪魔である共産主義は生まれなかったかもしれません。現在の格差は、第二の共産主義をもたらしても不思議ではありません。
グローバル経済では、自由放任の経済がもてはやされています。自由放任の経済政策はアダム・スミスの『国富論』に記載されている「神の見えざる手」という表現が有名です。
しかし、アダム・スミスは、完全な自由放任主義の経済を説いたわけではないのです。アダム・スミス自身が、『国富論』よりも重視した著作は、『道徳感情論』 です。そこでは、「人間社会のすべての構成員は、それぞれに必要な援助が、愛、謝意、友情、および尊敬にもとづいて互恵的に与えられている場合、その社会は繁栄するし、幸福である」と指摘しているのです。そのような道徳的な社会を基礎として、自由競争が経済を発展させると言っているのです。
testさんも、一度、アダム・スミスのような古典を学ばれてはいかかでしょうか。歴史の雨風をうけて読み継がれている古典は私達に新しい知見をもたらしてくれると思います。
コメントありがとうございます。
いやはや、俺なんかよりも圧倒的な知識と説得力で恐れ入ります。自分の勉強不足を痛感いたしました。ナチズムと現代社会に関してはちょうど自分も関心を抱いていた所で、来週か再来週あたりに記事をあげる予定です。
お金を稼ぐことは生きていく上で重要であるということは動かしようのない事実ではありますが、自分最優先でただ奪うだけでは社会秩序に混乱をもたらす原因になりかねません。あくまで理想ではありますが、社会に価値を与えることによって対価を得る姿が資本主義社会としての本来あるべき形だと私は考えています。
>お金とは社会に与えた価値
>先ず考えるべきは社会へのギブ&ギブ&ギブ&ギブ&ギブ
おっしゃる通りです。昔ならともかく、今は他者を犠牲にしても大して儲からないのです。あの人の記事はあなたの記事より社会に与える価値が高いから、その結果として収益が大きいのです。あなたと見解が一致して私も嬉しいです。
更新お疲れ様です。
「稼いだ者勝ち」が全てというのは分からなくもないのですが、それだけで社会を説明できるほど単純なものではないと考えています。
ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットのような富豪が私費で慈善団体を作ったり多額の寄付をしていますが「稼いだ者勝ち」が全てだとするとそのような行動は矛盾していますよね。
私見ですが社会に価値を提供した対価で金を貰うということの本質を知っている、資本主義が格差を生むことも知っているからこそそういう行動に出ているのだと考えます。
「稼いだもの勝ち」という言葉には弱者への見下しや蔑みの感情も見え隠れしていますが、そのような感情が増幅すると対立や争い、社会の分断が進む可能性は高いです。
「稼いだもの勝ち」と言うのは簡単ですが、これまでの悲惨な歴史は蔑みや見下し、差別といった感情から起こっていることを考えると鎌倉見物様のおっしゃるように過去から読みつがれている本を読んで歴史を知り広い視点から社会を見ることは本当に大切なことだと思います。
コメントありがとうございます。
>私見ですが社会に価値を提供した対価で金を貰うということの本質を知っている、資本主義が格差を生むことも知っているからこそそういう行動に出ているのだと考えます。
社会に価値を与えて富を得てきた一方で、資本主義の残酷な側面も知っている二人だからこそ、憎しみを生み出す要因となる格差について少しでも埋めていきたいという思いがあって慈善活動をしているということは確かにあるかもしれませんね。
「稼いだもの勝ち」というのは私が柔らかく言い直しただけであって、元のコメントは「ゴミ同然」とまで言っていたので、お金を稼いでいない者に対しての蔑みの感情は強く感じ取れました。しかし鎌倉見物さんのおっしゃっていた通り、そうした蔑みが憎悪の感情を生み出し、過去にはナチスや共産主義の台頭を引き起こしてきました。同じ歴史を繰り返さないためにも、こうした思想が台頭する社会的な素地を作らないようにすることが非常に重要だと考えています。