なぜ断言型インフルエンサーに従う人がいるのか?フロムの「自由からの逃走」から推察する【後編】

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お疲れ様です、ローンウルフです。

インターネットの世界において、断言型インフルエンサーに従う人々がなぜ彼らに従っているのかという理由を探るため、ナチスドイツに従っていったドイツの下層中産階級の精神構造を描いたエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を前回の記事において紹介しました。

今回の記事では、インターネットの世界における断言型インフルエンサーと彼らについていくフォロワーの精神構造について「自由からの逃走」から推察し、そうした精神構造に陥る原因と、それを避けるための方策を探っていきたいと思います。

現代社会とナチスドイツが台頭した第二次世界大戦前のドイツとの社会的性格の共通点

「自由からの逃走」が書かれた時代はナチスドイツが台頭していった第二次世界大戦前であり、今の社会と比べると時代背景は大きく異なっています。しかし以下のような点で私は両者の精神構造の共通点を見出しました。

現代社会においては、これまで新聞やテレビ、学校、職場など既存の組織が発した情報しか得ることができませんでした。しかしインターネットの出現により、我々は様々な情報と接することが出来るようになりました。

我々は既存の社会的権威から発せられる情報以外からも、自由に情報を得ることが出来るようになったのです。それは既存の組織から発せられる既存の組織に都合の良い情報に惑わされなくなったという利点もありました。

しかし自由に情報に触れられる反面、我々は常に情報過多な状況に陥るため、何を基準にすれば良いのか、またそもそも何が正しいのかわからず、精神的支柱となる心のよりどころが失われる社会的な性格が出来上がりました。

こうした事態が起こるのは当然我々大人だけではありません。子供たちも成長するに従いインターネットの世界に触れる時期が来た時に、突如として情報の波にさらされることになります。

 

 

ドイツ帝国の崩壊によってドイツの下層中産階級へ突如与えられた自由、インターネットの出現によって突如莫大な情報にさらされた現代社会。両者は人々の精神構造を拠り所のない不安定なものにさせている原因となっているのではないでしょうか。

不安定な精神の持ち主に心の拠り所を与える断言型インフルエンサー

彼らのような心の拠り所が欲しい人の前に現れ、彼らを巧みに利用しようとしているのが断言型のインフルエンサー達です。彼らはかつての独裁者たちのように既存の価値観や組織を攻撃し、また自らが社会における物事について全て知っているかのように断言して社会における自らの優位性を示し、心のよりどころのない人々を惹きつけました。

古いタイプの会社組織、政治家、マイノリティ・・・彼らの攻撃対象は多岐にわたります。

インターネットの世界においては常に情報過多であるため、第一次世界大戦後のドイツ国民のように何かに依存して安心したい、心の拠り所が欲しいというマズヒズム的欲求を抱える人がいます。情報を選択する自由の重荷に耐えられないような方々です。

断言型のインフルエンサー達はそんな彼らの心理状態を巧みに利用し、彼らのマゾヒズムを満たすがごとく昔からの古い価値観や組織を非難し、自らの主張の正当性について訴えるのでした。

またツイッターはフォロワーの依存したい欲求を満たすための有効なツールとなっています。支持者の数が数字として明確に表れるため、かつてのナチスの大衆集会のような一体感を感じることが出来るのです。

その一方で自らの情報商材を売り込み情報を与えつつ彼らの支持者から収奪し、またある者は自らが主催するオンラインサロンへ誘い込み、一体感と安心感を与える反面、彼らから奪って自らの金銭的な利益とそのサディスティックな欲望を満たすのでした。

以上は私が「自由からの逃走」にある内容から推察した断言型インフルエンサーとそのフォロワーの精神構造の共通点です。

内容は単純化したものですし、必ずしも経済的な利益を主目的としているわけではないという方も中にはいるかもしれません。ですが現実問題としてそうした実態も少なからずあるという点は見逃せないと思います。

またこれはインフルエンサー達に限った話ではありません。現実世界においても、自由に伴う孤独感、不安感によっていつでもファシズムを繰り返す可能性があるのです。我々はフロムからの警告を真摯に受け止める必要があるのではないでしょうか。

精神的に何かに依存しないための方策

こうした何かに依存したいという精神構造は、かつてのナチスドイツのような人間に利用されかねないため危険な状態であり、打破されるべき状況だと思います。

ではこうした精神構造に陥らないために、我々はどのように振る舞えばいいのでしょうか?この問いに対しても「自由からの逃走」から探っていきたいと思います。

フロムは既存の外的な権威から逃れられることによって得られる自由を「~からの自由」と呼びました。しかしこうした外的な権威から逃れるだけの自由は人々に孤独と不安を与えるだけでした。

フロムはもう一つの自由の概念として、「~への自由」を得ることを主張しました。「~への自由」とは個人の人格を発達させるものであり、より高いどのような力にも服従せず、他人に依存することのない自我を発達させるための自由のことです。

そして自発的な活動の重要性について、このように述べました。

「自分自身でものを考え、感じ、話すことほど、誇りと幸福をあたえるものはない。このことはまた、活動そのもの、すなわち過程がたいせつで、結果がたいせつではないことを意味する。」

 

結果よりも、過程を大切にすることによって自我を実現していくことが、外的権威に依存しないために必要であるとフロムは指摘しました。結果を導くための過程を自らの思考でもって導くことが重要であると説いたのです。

資本主義を生きている我々は結果を求められてはいるものの、それと同等かそれ以上に結果を得るための過程がより重要であるとフロムの主張から読み取ることが出来ると思います。

自由の行使には責任を伴いますが、それを重荷と感じて思考を放棄して「自由から逃走」してしまうか、自我を発展する機会ととらえるかが他人に利用されるかの分かれ道となってきます。

誰かに依存する、外的権威にすがるというマゾヒズム的な姿勢はかつてのナチスドイツのような人間に利用されかねません。自信満々に断言するその姿に惹かれるかもしれませんが、その発言が本当に正しいのか自分の頭で十分に考えましょう、誰かに言われるがままに行動するのではなく自発的に行動しましょう。

そしてどのような出来事でもいったん自分の頭で考え、自発的に動ける「一匹狼の群れ」による社会の形成が望ましいと私ローンウルフは考えています。

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