批判・警鐘をならすための記事に対案は必ずしも必要ではない

2023年11月15日

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お疲れ様です、ローンウルフです。

私はいわゆるインフルエンサーと呼ばれる類の人たちが発する情報に警鐘を鳴らしたいという思いがあり、過去にいくつか記事を書いてきました。

それは彼らが情報の受け手に対して良い影響を与えようとして情報発信を行っているわけではなく、あくまで自分のお金儲けを第一に考えている方が多いという事実を知ってもらいたかったからであり、また自分の頭で物事を考えるクセをつけてもらいたかったからです。

 

今まで書いた記事ではただ警鐘を鳴らすだけではなく、代替策となりうる対案を出来る限り提示してきました。「ひふみ投信」のアフィリエイトについて触れた記事では、アクティブファンドよりも信託報酬の安いインデックスファンドを購入するほうが良いと記事にしました。

しかし私はこうした批判・警鐘を鳴らす記事においては、必ずしも対案まで提示する必要はないと思っています。

警鐘を鳴らすこと自体に社会的な意義がある

一時期ニュースでも数多く取り上げられた、「かぼちゃの馬車」の事件。スマートデイズという会社とスルガ銀行が結託し、オーナーに割高な物件をつかませた上でずさんな審査による融資でサブリース契約を結ばせるも、経営が行き詰まりスマートデイズは破たん。多くのオーナーが莫大な借金を背負うことになってしまいました。

このかぼちゃの馬車の運営実態について、スマートデイズが経営破たんする前からこのスキームに対して警鐘を鳴らしていれば(実際にいたかもしれませんが)、被害を避けられた人がいたかもしれません。

例としてかぼちゃの馬車の事件を取り上げましたが、こうした事例は他にも枚挙にいとまがないと思います。

ですから私はこうした警鐘を鳴らすこと自体に意義があると思います。それらの記事を見て思いとどまった人がいたとすれば、そのおかげで莫大な借金を負わずに済んだからです。こうした記事は、警鐘を鳴らすこと自体に価値があるのです。

そうした危険性を知らせる記事においては、必ずしも対案を示す必要はないことがわかると思います。

対案を示すことによりかえって説得力が失われる場合もある

インターネットを見ていると、こうした個別の案件を調べたときに、記事の終わりに対案というか提案をするような記事が結構あると思います。

「この案件は詐欺の可能性が高い!でも私が紹介する案件は安全ですよ」

といって記事の最後にアフィリエイトリンクが貼られたり、メルマガの登録を促すような記事をちょくちょく見かけます。

そういう記事を見ると、私は「結局お前が金儲けしたいだけなんかい!」と興ざめしてしまいます。対案を示すことにより、警鐘を鳴らす記事がかえってその記事の信用性を失わせることだってあるのです。

私自身はみなさんにアメリカ株への株式投資による資産形成を広めたいという思いがあり、警鐘を鳴らす記事でも最終的には株式投資を対案として示していくということが多いと思います。

ですが上述の通り、私の記事に限らず警鐘を鳴らす記事には警鐘を鳴らすこと自体に価値があることが多いので、必ずしも対案を示す必要はないのではないかと私ローンウルフは考えています。

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