【インサイダー取引とハリウッド進出】ジョセフ・P・ケネディの一生 第2回
お疲れ様です、ローンウルフです。前回の続きです!
1919年、妻ローズの父親のつてで、証券会社であるガレン・ストーン・オブ・ヘイデン社で働くこととなったジョーことジョセフ・P・ケネディ。
金融業界へと足を踏み入れることになるのですが、ジョーはリバモアのように株価の値動きに着目した取引ではなく、仕事を通じて得た内部情報を基に取引を行うことを学びます。いわゆるインサイダー取引です。
インサイダー取引や株価つり上げで利益を得るジョー
業務を通じてある石炭会社の買収の情報を得た時、一般の人が知る前に個人の立場でその会社の株を16ドルで購入。買収発表後に45ドルと高値で売り抜けるのでした。当時はインサイダー取引は違法ではなかったものの、倫理に反する行為を平然と行います。
このころの取引についてジョーは、友人にこのように語っています。
「株でカネを設けるのは実に簡単なんだ。取り締まる法律ができぬうちに儲けたほうがいいぞ」
またグループを組んで風説や宣伝を流したりしながら散発的に売買を仕掛けることにより、売買を活発化させて価値のあるように見せかけ株価を吊り上げて一般の投資家たちを誘い込み、自分たちは高値で売りぬくという行為を行っていました。
ジョーの投機を支えた資金は禁酒法時代の酒の密売から出ていました。彼は犯罪社会のボスたちと手を組み、酒の非合法輸送に手を染めることになります。その後もこうしたギャングたちとの付き合いは長く続くこととなります。
1922年末にジョーはガレン・ストーン・オブ・ヘイデン社を退職。1923年、35歳の時にジョーは自らの事務所、ジョゼフ・P・ケネディ・バンカーを設立します。その後数年の間に約200万ドルもの資産を築くことに成功します。
ハリウッド進出と靴磨きの少年の話の「オチ」
1925年、三男のロバート・ケネディが生まれ、1927年にはニューヨークへ拠点を移しました。
司法長官にまで上り詰めるロバート・ケネディ。後に大統領選にも出馬するが…
このころ、ジョーは映画業界の将来性を見抜き映画会社を買収、ハリウッドへ進出することになります。ジョーがハリウッドでビジネスを始めたのはもちろんお金儲けが目的ではありましたが、もう1つ別の目的がありました。それは女漁りです。
ジョーはローズという妻がありながらも、当時のスーパースターであるハリウッド女優のグロリア・スワンソンと交際を始めます。
6度の結婚を繰り返したグロリア・スワンソン
後に2人は関係を解消するのですが、このジョーの根っからの女好きな性格は妻のローズを長い間苦しめ、またそのことが晩年のジョー自身をも苦しめることになるのです。
ハリウッドで仕事をする傍ら、ジョーは株式市場でも相場を張り続けました。1929年、ジョーは過熱する一方の株式市場において、他の人たちと同様に株式の買い持ちをしていましたが、パトロンである弁護士のガイ・カリアは市場が過熱しているとジョーに警告。
ガイ・カリアの警告に従い、ジョーは持ち株の売却を始める一方で、空売りを開始します。ジョーは1929年以降の株価大暴落により、100万ドル以上といわれる利益を上げることに成功します。
さて前回の第1回の記事の冒頭の靴磨きの少年の話ですが、「汝の父の罪 呪われたケネディ王朝」によると実はこれはジョー自身が自分がいかに鋭い男かをひけらかすために作った作り話であるとされています。
前述の通り、ジョーは靴磨きの少年の話からヒントを得たのではなく、弁護士のガイ・カリアの警告により株式を売却したのです。
政治の世界に足を踏み入れるジョー
一旦株式市場から離れたジョーではありましたが、あまり時間をおかずにウォール街に復帰します。彼は他人名義の口座で仲間とともに再びインサイダー取引と仕手を仕掛け、莫大な富を得ることに成功します。
こうした取引に加わりながらも、ジョーは自らの著書の中で金融業界の人間に対して白々しくもこう述べています。
金融界の重鎮のほとんどすべてが、最も控えめに言っても、極めて倫理に反する行為に関係していたことが明らかにされた。アメリカの企業界を支配している人々が誠実さと名誉ある行動という高い理想を動機としているという信念は粉々に打ち砕かれた。
富を得たジョーは、次なる野望に向けて動き始めます。政治の世界に足を踏み入れたのです。飽くなき権力への渇望は、やがてホワイトハウスをも動かします。
散々証券市場でインサイダー情報や集団での株価つり上げを行って利益を得ていたジョーが、なんとSEC(証券取引委員会)の初代委員長に起用されることとなったのです。
参考文献
「ケネディ家の悪夢 3世代の秘密とスキャンダル」
「汝の父の罪 呪われたケネディ王朝」