【ケネディ家の悪夢】ジョセフ・P・ケネディの一生 最終回

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お疲れ様です、ローンウルフです。

激動の時代を狡猾に生き抜いた、ジョセフ・P・ケネディ(ジョー)の一生を描いた記事の最終回です。今回の記事では、ジョーの子供たちの話を中心にしたいと思います。

ジョーは子供たちに自分たちの家族の団結力を説くと同時に、勝つことへの執念も植え付けました。それは兄弟間であっても変わりません。互いに挑発しあい、競争します。

そして繰り返し「ケネディ家の者は泣かない」と強く子供たちに訴えかけました。その飽くなき勝ちへのこだわりが後に悲劇を招くのです。

長男:ジョセフ・P・ケネディ・ジュニア

長男であるジョセフ・P・ケネディ・ジュニアことジョー・ジュニアは両親がたびたび家を空けている間、「支配者」として家庭内の決定権を握りました。

スポーツ万能で屈強な体であったというジュー・ジュニア

父親と同じハーバード大学を卒業後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで著名な学者であるハロルド・ラスキの下で学びます。ジョー・ジュニアは父親から嘱望され、彼自身も自分は大統領になるつもりだ」と公言します。

そしてハーバード・ロー・スクールの二年次に徴兵の登録を行います。そして1941年6月24日、ジョー・ジュニアは海軍予備隊に入隊します。

そんな中、同じ時期に海軍に入隊していた弟のジョン・F・ケネディことジャックは、自らが指揮していた魚雷艇が日本の駆逐艦により沈没。

ジャックは一時行方不明になるも、他の乗組員を助けて生存していたことが判明。その事実を知ったジョーはあらゆる関係筋にジャックの英雄伝を広めるために奔走。ジャックの名は国家的英雄としてアメリカ中に知れ渡ります。

弟に大きく先を越されたジョー・ジュニアは、弟の活躍が面白くありませんでした。ジョーの誕生日に不在の弟のために皆が乾杯したその夜、ジョー・ジュニアは悔し涙を流します。

兄弟間のトップの座を奪い返そうとしたジョー・ジュニアは、失敗する可能性を警告されていた爆撃隊での危険な任務に志願。作戦の途中、ジョー・ジュニアがのっていた飛行機が空中で爆発。29歳の若さでその命を落とすのでした。

長女:ローズマリー・ケネディ

長女ローズマリーは兄妹間の激しい競争の影響か、成長するにつれ精神障害の症状を起こしていきます。彼女は他人に暴力をふるったり、夜中に徘徊するようになります。

わが娘ですら「負け犬」になることを許さなかったジョー。精神障害を治療するため、ローズマリーに前頭葉手術(ロボトミー)を受けさせます。

この手術は頭の中にある両方の前頭葉の本体を切るというもので、当時はこの手術により精神障害が回復もしくは改善すると言われていました(後遺症の発生率の高さから現在では行われていない)。

1941年、手術は執行されます。緩やかな麻酔を打った後、頭頂部に穴をあけ、ナイフのような器具を頭蓋の中に入れて上下に振り動かして脳組織を切り刻みます。その間もローズマリーに意識はありました。

その際に別の医師がローズマリーに色々な質問を投げかけたりします。ローズマリーの回答が首尾一貫しなくなったところで切断を終えました。

手術後・・・手術が失敗したことがすぐに判明します。暴力は振るわなくなったものの、頭をもたげ言葉をしゃべる能力はほとんど失われてしまったのです。

手術後、ローズマリーはひっそりと施設に入所させられます。ジョーはその後、ローズマリーに会うことは二度とありませんでした。

次女:キャスリーン・ケネディ

カトリックの家系であるケネディ家に生まれた次女のキャスリーン・ケネディ。彼女はいくつもの悲劇に見舞われます。

左から次女キャスリーン、妻ローズ、長女ローズマリー

イギリスにいたころ、彼女は自分とは違う宗派のプロテスタントの貴族を愛し婚約をしますが、厳格なカトリックである母・ローズは結婚に猛反対。

しかし長男のジョー・ジュニアが間に入り、家族と縁を切ってでも結婚をすべきだと主張。晴れて二人は結ばれます。1944年、結婚式はイギリスのチェルシーで行われ、親族からは間に入ったジョー・ジュニアだけが参加しました。

その3か月後、間を取り持ってくれたジョー・ジュニアが亡くなったことを知り、急遽帰国。キャスリーンは悲しみに打ちひしがれます。

悲劇は終わりません。そのわずか1か月後、夫がベルギーでの戦闘で戦死。結婚の期間はわずか4か月で終わりを告げました。

1948年、キャスリーンは再びイギリスにいるプロテスタントの男性と一緒になろうとしていることを両親に打ち明けます。

母親のローズは再び結婚に猛反対。結婚をするなら勘当する、娘はもう死んだものとしてあきらめるとまで言い放ちました。

それでもキャスリーンは結婚をあきらめませんでした。イギリスに帰国後、婚約発表の計画を立てます。そして休日をフランスのカンヌで過ごすために夫ともに小型飛行機をチャーターします。

そしてその途中、二人を乗せた飛行機は山脈に衝突。キャスリーンは命を落とすのでした。

フランスでキャスリーンとフィアンセと共に会う約束をしていたジョーは、墜落現場がある村まで急行。何かの間違いであってほしいとの祈りもむなしく、ジョーは娘の無残な姿と対面します。

悲しみに打ちひしがれるジョーとは反対に母親であるローズの対応は冷ややかなもので、自分の娘の葬式にすら参加しないありさまでした。

次男:ジョン・F・ケネディ

ジョーの大統領になるという野望は長男の死後、次男のジョン・F・ケネディことジャックに託されました。

1960年、ジャックは大統領選への出馬を表明します。弟のボビーことロバート・ケネディが選挙戦を取り仕切り、一族総出での選挙戦が開始されます。

いつもの通り、ジョーは金にものを言わせます。息子のために会社を設立し、その会社は飛行機を購入、息子に安価に貸し与えます。ジャックはその機動力を武器に全国各地を飛び回り、他の候補との差をつけたのです。

こうしてジャックはまず民主党から大統領候補としての指名を受けます。

民主党党大会で指名を受けるジャック

共和党との争いの中でも、ジョーは莫大な金をばらまきます。ジャーナリストやコラムリストたちに品物や現金を送り、また仕事を与えて世論がジャックに有利になるよう仕向けていきました。

またジョーにテレビ出演の重要性を説きました。共和党の候補者であるニクソンとジャックのテレビ討論会は、ケネディがニクソンを打ち破った鍵であるとされています。

討論会でのニクソンとジャック

こうして1961年、ジョーの息子であるジョン・F・ケネディは選挙戦に勝利し、第35代アメリカ大統領に就任しました。

息子を通じてその野望を達成したジョー。しかしその余韻に浸る暇もなく、同年12月19日、脳卒中により倒れます。

巻き起こる悲劇

脳卒中により倒れたジョー。右半身不随となり、しゃべることもままならなくなります。

1963年、そんなジョーに衝撃的な知らせが飛び込みます。ジャックがダラスにて暗殺されたのです。

暗殺直前のケネディとその妻ジャクリーン

ジャックの死の知らせを子供たちから聞かされたジョー。この時の様子を、ジョーの看護婦長はこのように述べました。

ジョーの目が素早く動きました、狼狽の色が一筋走り、目の色が消えました。ケネディさんは私を見上げました。動くほうの左手を、ベッドに埋めたユーニス(ジョーの三女)の頭の上に置いていました。悲しみの海が顔にゆっくりと広がるのが見えました。

 

悲劇はこれで終わりませんでした。この5年後、大統領に立候補していた三男のボビーことロバート・F・ケネディがその選挙運動中、凶弾に倒れたのです。

ジョーは自分の息子が撃たれるシーンをテレビで繰り返し眺めます。「ケネディ家の者は泣かない」と子供たちに強く諭していたジョーでしたが、目を手で覆い、その頬には涙が伝っていました。

このころ、ジョーとの関係がほとんど破綻していた妻のローズは、人前でこのように言って息子の死を悲しみました。

おお、なぜボビーでなくちゃいけなかったの?どうしてジョーにしてくれなかったの?

 

こうしてジョーは息子たちの死による悲しみに打ちひしがれながら1969年、残った家族に見守られながら自宅で息を引き取りました。享年81歳でした。

金と権謀術数により権力を駆け上がり、息子を大統領に就任させるまでに成功したジョー。その人生の結末は、自らの業が自らに降りかかってくるような最後を迎えるのでした。

参考文献
ケネディ家の悪夢 3世代の秘密とスキャンダル
汝の父の罪 呪われたケネディ王朝

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