「億」に到達すること自体に私は特に価値を感じない
お疲れ様です、ローンウルフです。
「億り人」という言葉が象徴するように、投資をしている方で「億」を目指している人は一定数いると思います。
確かに資産の単位が万から億に代わるということは、1つの象徴かもしれません。しかし私自身は「億」に到達すること自体に特に価値は感じていません。「億」に到達すること自体が過剰に価値づけされているのではないかと思っています。
資産額は単なる指標に過ぎない
もちろんそれだけの資産を築くことはすごいことだと思います。宝くじに当たったり親族からの贈与や遺産でもない限り、その裏にそれ相応の努力があったのでしょうからね。
しかしそれはあくまで一つの指標にすぎません。資産額それ自体に着目するよりも、自分のやりたいことをやった上で堅実な資産形成をした方が楽しい人生を送れると思います。
消費よりも数字が積みあがるのを見るのが好きな人とかであればいいですが、自分がやりたいことを我慢してでも億を目指すぞ!というような人はよく考えた方がいいと思います。
お金は豊かな生活を送るための手段であるはずなのに、お金を貯めること自体が目的になってやりたいことを我慢して生活が貧相になってしまっては本末転倒になってしまいます。
だからといって無駄遣いを推奨するわけではありません。基本的には節制した生活を送るけど、自分が本当に使いたいものには出費をした方がいいと思います。要はメリハリが大事です。
「億」に到達すること自体が過剰に価値づけされてる気がする。
資産額それ自体に着目するよりも、自分のやりたいことをやった上で堅実に資産形成をした方が楽しい人生を送れるのかなと思います。— ローンウルフ (@LONE_WOLF_R) November 15, 2019
大きく変わった食事に対する価値観
この間、友人との会話の中で、最近は食べることが人生の大きな楽しみの1つだと話したところ、友人から「昔とずいぶん変わったね」と言われました。
実は20歳ごろの私は、周りに「食事は口に入れば何でもいい」なんてことを公言していたぐらい食にはかなり無頓着でした。それよりもお金が通帳に積みあがっていくのを見るのが好きでした(当時はパチスロで稼いで貯金していました)。
でも今は違います。昔と違ってお金に余裕ができ、数字が積みあがっていくのを見るよりも、食事に楽しみを覚えるようになりました。人って変わるものですね。
なので昔の私のように、とにかく数字が積みあがるのを見るのが大好きという人はそうした目標を定めて「億」を目指したいというのならそれもアリなのかもしれませんが、そうでないのなら本当に目指すべきものなのか、熟考する必要があると思います。
いずれ勝手に到達するので「億」を目指すこと自体に価値は感じない
私が「億」を目指すことに価値を感じていないことについて、「お前が億に到達できないからそんなこと言ってるんだろw」とか思う人もいるかもしれません。
ですが私の今の資産規模なら、今のディフェンシブな運用を続けていても自然と億には到達する可能性が非常に高いので、わざわざ目標をたてるまでもないんですよね。むしろそうした目標をたててしまうと、その目標を達成するために過剰なリスクを負ってしまう恐れすらあるので、特に数字の意識はしていません。
みなさんも特に数字が積みあがるのを見るのがとにかく好きというのでないのであれば、支出にメリハリをつけ、生活の充実との兼ね合いの中で資産形成を図っていくべきではないかと私ローンウルフは考えています。