「稼いだ者勝ち」という考えは資本主義の原則なのか?

2023年11月15日

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お疲れ様です、ローンウルフです。

かつて投稿した「投資ブロガーはブログ収益よりも投資収益を公表しろ!」という記事に、こんなコメントが届いていました。

 

あなたが何回も正しいことを喚いたところで、あの人のほうが支持も人気も上であって、結果として金持ちにもなってるんですよね。正しさも人気や金の前にはゴミ同然、この資本主義の原則をご存じないあなたがずっと貧乏である状態を見て、一般人はあの人をますます支持して人気もあがる。

 

資本主義社会においていわば「稼いだ者勝ち」ともいえる思想がこのコメントから感じ取ることが出来ます。しかし本当に資本主義における原則は「稼いだ者勝ち」なのでしょうか?

今回の記事ではこの問いの答えについて考えてみたいと思います。回答を導き出す手段としてほんの少しではありますが、資本主義の歴史を紐解いていきたいと思います。

近代資本主義の発展過程

資本主義の定義は人によって若干ニュアンスが異なることが多いですが、一般的には生産手段の私的所有により、利潤の追求を目指す行為や経済体制のことを指します。

資本主義は産業革命により、急速に発展していきました。それまでは資本主義とはいっても生産は手作業により行われていて規模も小規模でした。ですが機械による生産が始まったことにより、大量生産が行えるようになったのです。

機械生産により従来の手工業は没落し、機械などの生産手段を持つ資本家と、資本家の元で働く労働者とに分かれていきました。

資本主義の発展に伴い分業化が進みましたが、利潤の追求のみを考えた当時の資本家は労働者の生活をかえりみず、不衛生な生活環境のもとで低賃金と長時間労働を課し、子供までもが炭鉱労働に駆り出されることになりました。

 

 

早い子供では8歳から働き始め、炭坑内の危険な作業で命を落とし、あるいは筋肉が発達する反面、身長が伸びないなどの成長の阻害が起きたため、社会問題へと発展しました。

こうした資本家の極端な利潤追求行為から、資本家と労働者は次第に対立していくこととなり、労働組合の結成、あるいは生産手段の社会的所有を目指す、社会主義という思想が登場するに至りました。

こうした動きに危機感を覚えた各国は、労働者を保護する法体系を整備したり、労働組合の結成を認めたり、皇帝の権限の強いドイツでも災害保険などの社会政策を実施し、労働条件の改善に動き出すことになるのでした。

また20世紀に入ると世界恐慌が発生したことにより、市場原理に任せれば市場は均衡していくという、従来型の資本主義体制(神の見えざる手)へ疑問が生じることとなり、各国で国家による福祉政策や経済への介入が積極的に行われることとなりました。

こうした歴史的な背景からすると、「稼いだ者勝ち」という考え方は前近代的・初期の資本主義の考え方を反映したものであり、今もある程度は残っているものの、時代と共に次第に是正されていったと言えるでしょう。

「稼ぐこと」も重要だが「稼ぎ方」も重要

私は以前の記事で、無料で学べる米国株ブロガー2人のブログ運営術を紹介しました。

 

そのうちの一人、「Grow Rich Slowly シーゲル流米国株投資で億万長者になる!」のHiroさんは、記事のコメント欄でこう言いました。

これは私の師匠から教わったことですが、「最初から金を稼ぐことを考えるな!」と言われました。お金とは社会に与えた価値であると。

ならば、先ず考えるべきは社会へのギブ&ギブ&ギブ&ギブ&ギブです。社会に価値をギブしないで、お金を稼ごうという発想は止めろって言われました。

【ブログ論】Hiroが23万円身銭を切って学んだネット文章術を無料で公開するよ!のコメント欄より

 

オンラインサロンへの勧誘、情報商材の販売…情報発信を行っている人たちの中には、社会に価値を提供するよりもお金稼ぎ優先の姿勢が見え隠れする人たちがいます(全ての人がそうだとは言いませんが。ただ彼らがなぜそうした活動に熱を入れているのかは、一度熟考してみたほうがいいと思います)。

確かに今後の日本の人口減少社会を生き抜くためにも、お金を稼ぐこと自体は非常に大切です。しかし稼ぐことと同じぐらい「稼ぎ方」も重要なのではないでしょうか?自分がお金を稼ぐためなら他人を犠牲にしてもよい、そういった姿勢で情報発信をしている人はHiroさんのコメントを何度も読み返した方がいいと思います。

社会に価値を提供した結果としてお金を得ることが出来る、それが本来のあるべき資本主義の原則ではないかと私ローンウルフは考えています。

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