「一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学」を読んだ感想
お疲れ様です、ローンウルフです。
リーマンショックが起こる前、日本の株式市場、特にマザーズやジャスダックの新興株市場は強い上昇局面を迎え、それと同時に数多くの成功した個人投資家が出現しました。
しかし彼らの多くはリーマンショックと共に姿を消すか、生き残っていてもまだ当時の資産額を超えられない人もいます。
そんな相場の荒波を潜り抜け、着実に資産額を伸ばしていった一人の個人投資家がいました。それが今回紹介する「一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学」の著者、cis(シス)という個人投資家です。
私自身10年以上前から彼の名は知っていましたが、現在まで勝ち続けているということは相当な投資の実力者であることは容易に推察できます。
今回の記事では、そんな彼が書いた著書の内容の感想を記事にしたいと思います。
「一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学」はトレーダー向きの本
まず私が「一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学」を読んで思ったのは、この本はトレーダー向けの本であるなということでした。
彼自身ほとんどの取引がその日限りの売買であるとしているので当然と言えば当然かもしれませんが、長期投資で資産を築くやり方をこの著書から学びたいというのはちょっと難しいと思います。
例えば配当狙いは儲からない、ナンピンは最悪のテクニックとするなどの考え方は、インデックスファンドで長期投資をする人の考えとは異なった考えだと思います。
逆に言えばそうした考えは短期トレードをする上では必然であるので、こうした思考の過程を知りたい方はこの著書を読んでみてもいいと思います。
とはいえ「リスクリターン比を意識する」「暴落時はチャンスである」など長期投資をする上で参考になる内容もありました。
「本を読んでいるだけでは相場に勝てない」という考えも非常に共感します。投資においては実践が最大の勉強です。まずはやってみて、やりながら修正を加えていくと知識が非常に身につきやすいです。
この著書の半分近くは彼に関する半生を描いたものであり、彼について詳しく知りたいという方は面白い内容だと思います。cisという人の生い立ちに興味がない人でも、彼の生きざまに何かを見いだせるかもしれません。
面白かったのが、彼は投資の元手をパチンコで稼いだという事。自分自身も投資の元手はパチスロで稼いだので、大数の法則(ある特定の確率が存在する場合、試行回数を増やせば増やすほどその本来の確率に落ち着いていくという法則)や確率の収束、期待値の概念を用いるなど彼の考えに共感することが多かったです。
ただ私と違って友人を使って代打ちをするなど、人脈やコミュニケーション能力の高さは持ち合わせているんだなと思いました。
それでもやっぱり基本は長期投資だなと再認識した
この本を読んで短期取引の参考にしよう、短期取引を始めようという方がいるかもしれませんが、私はそうした気持ちになれません。むしろやはり投資をするなら長期投資に限ると思いました。
なぜなら短期投資で利益を得ようとしたら、cis氏のような凄腕のトレーダーと闘わなくてはならないからです。
彼は2015年のチャイナショックの下落相場時に、オプション価格が跳ね上がっていた満期日が近い日経平均のプットオプションをしこたま売ったそうです。プットオプションの売りは一つ間違えれば自らの資産を吹っ飛ばすどころか借金まで背負いかねない非常にリスクのある取引です。
著書では淡々と事実が書いてあるだけなので一見比較的簡単にできそうに見えますが、実際にやるとなると精神的なプレッシャーは相当なものになると思います。だけれどそれを彼はやってのけた。そんな彼と同じフィールドで戦って市場平均以上のリターンをあげる自信が私にはありません。
cis氏のような凄腕の投資家がいても市場平均以上のリターンをあげる自信がある!という方は短期投資に挑戦してみてもいいと思います。しかし私のようにそうした自信のない人は、長期投資で着実に資産を形成していく道を模索していくべきではないかと私ローンウルフは考えています。
ディスカッション
コメント一覧
人殺しが楽しいから自分が戦場で戦っている人もいるだろうし、貧民だから自分が戦場で戦わざるを得ない人もいるだろうし、自分の代わりに他人に戦わせてその利益の一部を自分が得る人もいるだろう。相場と戦うと負けるから長期投資家にならざるを得ないという考えもあるだろうが、相場と戦わざるを得ない境遇ではないから長期投資家を選択できるという考えもあるだろう。貧民だから戦ってくれる人にも、そして彼のように好き好んで戦ってくれる人にも、長期投資家としては感謝を忘れずに、そして死体には感謝と弔いを忘れずに。
コメントありがとうございます。
こうした短期投資家は市場に流動性を与えたり急落相場時にリスクテイクしてくれるので、その存在は否定されるべきものではないと私も考えています。