「損切の練習」はあまり意味がない

2023年11月15日

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お疲れ様です、ローンウルフです。

アメリカの株式市場は2009年以降、多少の上下がありながらも基本的には右肩上がりの上昇相場が続いています。

これだけの長い上昇相場ではありますが、いつ株価の下落に襲われるかわかりません。ですがいつ下落するかについて正確な予測をすることは極めて難しいと思います。そのため、いつ株価が下落してもいいように事前に対策を検討している人は多いと思います。

そんな中で、株価が下落した時の対策として損切を考えている人は多くいると思います。

損切という行為はただ単に損失が確定するだけでなく、自らの判断が誤っていることを認めることにもなるので、大きな精神的な負担を負うことにもなります。

ですがこの大きな精神的な負担を負う損切について、「損切の練習」を行えば乗り切れると考えている人も中にはいるようです。

「損切の練習」とは、少額のポジションによる損切を行って損切を体験することにより、今後発生する大きな金額の損切りを滞りなく行えることができるという考え方に基づいているようです。

しかし私はこの「損切の練習」について、あまり意味のない行為であると考えています。

1000円の損失と100万円の損失では精神的負担は桁違いに異なる

例えばあなたがもし1千万円を持っていたとします。そのうちの1万円だけを使って株式を購入し、損切ラインを買値の10%に設定します。株価が上がるという当初の見込みが外れ、株価は損切ラインに到達してしまいました。

きっちり10%で損切が行えた場合(通常は設定していたラインより下の価格で損切を行うことがほとんどですが)のあなたの損失は、1000です。元々の保有資産1千万円に対し、わずか0.01%の比率ですから、総資産に与える影響はとても小さいです。これだけの少額であればはっきり言って精神的ダメージも極めて少ないでしょう。

しかしもし資産の全額である1千万円を投資していたとしたらどうでしょうか?1千万円の10%である100万円が損失となるわけですから、先ほどの損失額1000円と比べ、比率にして1000倍もの損失を負うことになるのです。

1千万円の資産保有者が負う100万円の損失と1000円という損失が精神に与える影響を人は果たして同一視できるでしょうか?私はできないと思います。

極端な話、損切をした時の総資産に占める損失の比率の差が1000倍なら、精神的負担も1000倍に増えるぐらいに思っておいた方がいいでしょう。

私自身は過去に商品先物取引を行っており、その時行っていた損切の回数は記録に残っているだけで300回以上になるんですが、私自身の経験を鑑みても、やはり少額の損切と大きな金額での損切は精神的な負担は雲泥の差でした。

最終的には投資資金を税引後で約8倍近くまでにすることに成功したのですが、それでもその時その時の損切は精神的負担を強く感じさせるものでした。

「損切の練習」はやらないよりはマシだが大きな金額の損失の実際の心の痛みまでは再現できない

とはいえこれらの行為は全くの無意味というわけではないと思います。自分自身が策定した損切ルールを順守できるかのテストにもなるかもしれません。

ですが金額が大きい時の損切は、

「なんであの時買いの判断を下してしまったんだろう」

「もっと早く損切すべきだったんじゃないか」

などと自らを精神的に追い込んでいくような考えが次々と湧き出てしまうのです。極度に追い込まれている時は仕事中にも損失を確定したことが頭をよぎってしまいます。

少額の損切ではこのような精神的な状態に追い込まれることはないでしょう。バーチャルな取引と大きな差はないのかなと思います。あまりにも長く続いている上昇相場が、こうしたリアリティのない考え方を生み出してしまったのかもしれません。

金額の大きな損切は、少額の損切では体験できないようなあなたが事前に想定しているよりもはるかに大きな精神的な負担を与えることを心に留めておいてほしいと私ローンウルフは考えています。

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